途上国ライフ

図工と体育と、ときどき英語。元公立中学校教諭、現途上国の小学校の先生。

【ご報告】一時帰国→任期満了→ふたたび教員へ

お久しぶりです。

 

2020年3月に、コロナウイルス感染拡大の影響で一時帰国をし、

その後日本で待機生活をしておりましたが、

2021年1月で、その任期を満了いたしました。

 

 

一時帰国した時点で、もう、ブータンには戻れないかもしれない。という気持ちはありました。

結果的にブータンに戻ることができないまま、JICA海外協力隊員としての身分を終えることとなりました。

 

外務省から感謝状が届き、それを見たときに「本当に終わったんだな」と実感。

 

待機している間は、午前中は喫茶店でアルバイトをし、午後は在宅のオンラインで英会話講師をする生活をしながら、

今後どうしようかな?と考えていました。

 

 

最終的に、日本でもう一度教員をやるという決断をし、

2021年4月から中学校で働いています。

今なら、外国籍の子の気持ちが痛いほど、そして手に取るようにわかります。

外国で、自分がマイノリティを経験したことが、仕事にも生きると思っています。

 

悩みましたが、最後は「え~い!」という気持ちで再度飛び込みました。

考えすぎる性格なので、うじうじするのがよくないと思いまして、

そのとき「これが一番いい」と思ったことを選択しました。

 

まだ、海外で働くチャンスをあきらめたわけではないのですが、

しばらくは日本で自分ができることを頑張っていきたいと思います。

 

最後に…

はてなブログを無料版に戻したため、ブログのURLが変わりました。

今まで読んでくださった方々、ありがとうございました。

これからも、ブータン生活の記録としてこちらは残していきたいと思います。

 

【文化】ゴ&キラ 〜ブータンの伝統衣装〜

ブータンは、自国の文化をとても大切にしています。

中国と、インドという大国にはさまれた小さな国。

だからこそ、自分たち独自のものを大切に大切に守り抜き、

アイデンティティを高めています。

 

ブータンにはこれまで当ブログでも紹介してきたように、

独自の文化がたくさんありますが、

特にゴ・キラは最強のブータン文化です。

 

ゴ = 男性の正装

キラ = 女性の正装


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左がキラ、右がゴです。

 

 

日本でいうと、スーツみたいなものでしょうか。

官公庁、銀行、さまざまな会社に勤務している人々や、

タクシードライバーさんたちはみんなゴとキラを着て正装で出勤。

学校の制服も、ゴとキラに基づいていますので、子どもたちは毎日ゴとキラを着ています。


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もちろん先生たちも、です。

 

まずは、私も学校隊員として毎日着ていたキラから。

キラとは、広げてみると1枚の大きな布。

インド製の機械織りが多く流入してきていて、それらは安いのですが、

これは、ひとつひとつの刺繍がしっかり施されているちょっと豪華なものです。



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お値段も、手織りのほうが高くなります。

↑このキラは私がお世話になっていたブータン人の大家さんが織ったものです!

 


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↑これは、同僚の先生がプレゼントしてくれたもの。

村人さんや同僚の先生が、着なくなったものを譲ってくださることが多かったので、学校へはありがたくそれを着て行っていました。

 

 

この大きな布を、決まった手順で体に巻きつけて、ケラというベルトのようなもので締め上げて着ています。

 

 

フルキラとハーフキラがあり、フルキラは冒頭の写真や下の写真のように体全体を覆うことができます。


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ちなみに女の子たちの学校の制服は、フルキラです!


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ハーフキラは、文字通りハーフです。

腰から下だけキラを巻きます。


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普段使いの汚れやすいキラは、だいたいがチェック模様や縞模様です。

袖と首のところから見えているのはウォンジュ、その上に着ているジャケットのようなものは、テゴといいます。

ウォンジュはテゴよりも薄い布でできています。袖は長めに作られていて、2-3回折り返すことで、中の色が見えるように着ています。

 


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ブータン人は、とにかく色のマッチングを大事にします。

私が着ていったキラとテゴの色のダメ出しや、着方のダメ出しを何度されたことか!笑

でも、ダメ出しによって自分がうまく着られるようになっていったのも事実です。

とにかく、みんな面倒見がいいのです💕

 

 

 

私は、どちらかというとハーフキラよりもフルキラが好きで、自分で買うのはいつもフルキラでした。

 

ジャケットであるテゴを脱ぐと、ウォンジュとフルキラだけになるのですが、

私はこのスタイルが大好きでした!


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次は、男性用のゴ。


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このゴも、脱いでみると1枚です。

それを、ケラと呼ばれるベルトで縛り上げています。

ゴを着ているときは、スカートを履いているような感じになっていますので注意が必要です。

ゴは重ねている前の部分に手を入れることができますが、

ブータン人のゴの中はまるで四次元ポケット〜!


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大人だったら、この空間でのスマホ所有率は97%、

ペンやメモ帳などのちょっとしたものはだいたいここから出てくるし、

みかんやりんごなどの小さいフルーツもこの中で温めていて、ゴの中から取り出して豪快にかぶりつきます。

ブータン人男性はバッグなどの手荷物を持ち歩きません。

その代わりに、ゴの中がふくらんでいるのです☆


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ゴのほうが着るのが難しいと思います。

学校で動き回ると崩れてしまうので、小さな子たちは、助け合って直しています。


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では、最後に〜素敵なゴ&キラ コレクション〜

仏教のお祭りのときはスペシャルです!

小さい子どもたちもバッチリ着こなしています!


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山の国ブータンの中でもさらに山岳地帯に住む民族は、またちょっと違う、こんな衣装です。


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もしブータンを旅行されることがあったら、その際はレンタルでゴとキラを着ることができます!

もちろんブータン人のスタッフさんが着付けてくれますのでご安心を。

以上、ブータン文化のご紹介でした。

 

 

 

 

【JICA海外協力隊】JICAの優しさ ― またいつか、国際協力へ

現在、JICA海外協力隊員は、コロナウイルスの影響で一時帰国。

日本国内で待機中です。

本来の任期は2年間ですが、それをまっとうすることなく帰国しています。


 

cradle111.hatenablog.com

 

そして、私のような任期半ばでの帰国隊員は、1,800名近くいるそうです。

先が見えない不安感。どうなるかわからない焦燥感。

派遣国に戻れるのか戻れないのか、何の見通しも立たず、落ち着かない日々でした。

私たちだけでなく、コロナの影響で進む道が変わってしまった方や、お仕事に大きな影響があった方、人生設計の変更を余儀なくされた方も多いことと思います。

みんな、大変でしたよね。

 

 

 

JICAの青年海外協力隊員として派遣されるときには、JICAと派遣合意書を締結します。

合意書は、派遣前訓練が終わるころに、訓練所で内容を確認してサインすることになっています。

内容は多岐にわたりますが、その中のひとつに「避難一時帰国の上限は120日まで」との記述があります。

120日、4か月。つまり、私たちが帰国したのは3月ですので、7月には、その上限を迎えてしまう計算でした。

帰国当初、私たちは、「120日を迎える7月になっても再赴任の見通しが立たない場合は、合意書を解除する(=隊員としての身分ではなくなる)」と言われていました。

見通しも立たないのに、いつまでも隊員を引き留めておくわけにはいかないというJICAの判断だったのだと思います。

 

 

 

しかし、今回、また方針が変わりました。

新型コロナウイルスの世界的感染拡大という前代未聞の事態に鑑み、

JICAが私たち隊員の身分を再考してくださったのです。

 

私たちは、あらためて以下の3つの選択肢から1つを選ぶこととなりました。

 

①待機期間の特別延長

本来の120日を超えて、10月まで待機期間を延長でき、隊員としての身分も保証される。(おそらく今回だけの特別措置)

再赴任できるような情勢になれば、すみやかに再赴任。その条件下での就労は可。

しかし、派遣期間は元のまま。再赴任の見通しが立った時点で残りの派遣期間が1か月未満なら再赴任はできない。

状況によっては再赴任できないまま当初の派遣期間終了日を迎えることもある。

 

②特別登録 

 いったん、派遣合意書を解除する。

あらためて、3年間有効の特別登録をし、世界の情勢が落ち着いたら、当初の配属先を優先しつつ、隊員本人の意向と条件を勘案して、他の国や案件への派遣についても柔軟に検討。

その場合は、新たに合意書を締結したうえで派遣。よって、残された元の派遣期間よりも長く、派遣国で活動できる可能性が高まる。

 

③辞退

待機延長も特別登録もせずに、合意書を解除する。ただし、派遣期間満了扱いで解除。

 

 

 

①は、当初の期間内は希望を捨てずに、チャンスがあるならもう一度戻りたいと思う隊員のため、

②は、「やっぱりあきらめられない!期間が短くなるのなら、もう一度新たに国際協力に挑戦したい!」という人のため、

③は、未曽有の事態で帰国を余儀なくされた隊員の、新たな人生設計(協力隊とは別の道での就職や就労など)を応援するため

 

の選択肢だと思いました。

 

「一律に合意書解除します!」ではなく、

JICAが我々隊員のそれぞれの立場や、今後のことを考えて、新たに打ち出してくれた救済策だと思いました。

 

隊員それぞれが置かれている状況はまったく異なりますし、考え方も違います。

派遣期間終了後の進路や人生設計も違います。

だからこそ、選択肢を与えてくれたことに感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 

またコロナの感染者数が増えてきて、第2波もささやかれているこの頃。

それぞれに考えることはあると思います。

JICAのこの判断に対する受け止め方もさまざまかと思いますが、

今後、国際協力を志す方や、協力隊に興味があっていつか挑戦したいと思っている方の何らかの参考になればと思い、ここに記述しておくことにしました。

 

 


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いつになるかはわかりませんが、また、こんな笑顔に会いたいなぁと思っています。

 

みなさんもどうかご自愛ください。

 

【JICA海外協力隊】パン食べたい…ないものは自分で作る

青年海外協力隊員が派遣されるのは、いわゆる発展途上国です。

「〇〇がほしいなあ、日本ならあるのになぁ」

「〇〇があったらなぁ、日本なら買えるのに」

 

そう思うことが多々あります。

もちろん、私たちはそうなることは想定しています。

だから、「ないものは作る」精神で、みんなどんどん強くなっていきます。

「な~んだ、やってみたら、できるじゃん♪」

「こんなものも作れるんじゃん!♪」って思えたら、

自信がついて、ポジティブに生活できます。

 

途上国では、多少の困難があってもすぐに切り替えてポジティブに過ごすことが、

何よりも重要だと気づきました。

 

ふだんはご飯派の私ですが、たまにふわふわのパンが食べたくなります。

でも、パン屋さんなぞありません。

そんなときに焼いていたパンの、ざっくりとした作り方。

小麦粉は手に入りますので、小麦粉と首都のみで手に入るドライイーストパウダーで、

オーブンいらずのフライパンパンを焼いていました。

 

本来であれば、パンは計量が大切だと思いますが、

任地では電子量りも手に入らなかったので

昔ながらのアナログ量りで頑張っていました。それでも十分においしくできます!

 

パンのプロの方々がご覧になったら怒られてしまいそうなざっくりさです。

ごめんなさい。

 

フライパン2台分のパン(一気に焼いて冷蔵庫に入れていました)

 

・小麦粉 400gくらい

・牛乳 小麦粉の半分+ちょっと多いくらい=小麦粉の6割くらい

・砂糖 40gよりちょっと少ないくらい=小麦粉の1割よりちょっと少ないくらい

・バター 砂糖と同じくらい

・ドライイーストパウダー 4gくらい=小麦粉の1%

・お好みで食塩 少々

 

 

① 材料をなんとなく量って、バター以外をボウルに入れて混ぜる

 

② ①が混ざったらバターを入れてまた混ぜる(バターが硬すぎるときは、少し温めて溶かしバター風にするとよいです。でも溶かしすぎると大変なので温めるのはちょっとだけ!!)

  べちゃべちゃ感がなくなってきたら、手でこねる

 

③ 生地がまとまってきたら、まな板や除菌したテーブルなど平らなものの上に生地を取り出し、伸ばす

 ※ 丸めた生地の端を左手で押さえながら、右手で前方に押し伸ばす

 ※ 右手の伸ばした生地をクルクル巻きながら左手に戻す

 → ※を何回か繰り返すと、どんどん生地がまとまっていきます!

 

④ 丸めた生地を、両手で包むようにして、左右に転がす

 

 (③④を繰り返して、表面がなめらかになってきたら)

⑤ 生地のとじ目(生地を丸め直したときにできるつなぎ目をとじたもの)を下にして、ボウルに入れ直し、ラップをかけて一次発酵

 

 ※ 発酵器はないので、↓このように熱湯を入れたお椀やコップの上にボウルを置くと、


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  発酵器と似たような状況を作れます。

 

⑥ 20分ほどたったら生地を取り出し、膨らんでいるのでポンポンと叩いて空気を抜き、2等分したらまた生地をとじ、とじ目を下にして二次発酵

 

⑦ 20分ほどたったら取り出し、好きな大きさに等分して、フライパンへ

 

⑧ 蓋をして、めちゃ弱火で12-15分程度焼く

  膨らんで焦げ目がついたらひっくり返す

 

 

できあがり~!

(焦げがつきすぎるときもあります)

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(何度かやるうちにうまくなります)
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ブータンで、かつて某○○○クッキングスタジオに通っていたときの知識が生きました!

ざっくりでも、適当でも、なんとかなります!!

 

焼くたびにブータンマダムたちにおすそ分けしていたのですが、

けっこう好評で、また作って!と言われることも多かったです。

原価が安く、やるたびにうまくなるので、時間があるときによくやっていました。

 

みなさんもぜひ!

(・・・いや、日本にいたら必要ないですね^^;笑)

 

説明ばかりになってしまったので、過程の写真は、また今度家でパンを作った時に追加します。

 

それでは、よい日曜日を♪

【JICA海外協力隊】派遣前訓練

JICA海外協力隊の隊員として派遣されるためには、

合格後に70日間の派遣前訓練に参加し、修了しなければなりません。

今日は、その「派遣前訓練」について書きます。

 

 

派遣前訓練は、日本国内の青年海外協力隊訓練所にて70日間行われます。

派遣国によって、事務局のほうで入所する訓練所が振り分けられます。

(自分で選ぶことはできません)

 

①駒ケ根青年海外協力隊訓練所(長野県駒ケ根市)

②二本松青年海外協力隊訓練所(福島県二本松市)

 

ほとんどの場合は、①②のどちらかになります。

私は ①駒ケ根 でしたので、②二本松 のことについてはわかりません。

①駒ケ根 のことについて、書いていきたいと思います。

(※2018年当時です。今は変わっている点があるかもしれませんがご了承ください。)


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私は10月入所、12月修了の隊次でしたので、秋の長野県を満喫できました。

日々少しずつうつろう紅葉の様子を楽しんだり、

秋のきれいなアルプスや、澄み渡る空を見たりしました。



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↑訓練所の中庭です。

 

 

 

 

【派遣前訓練の一日】

 

 

6:30~ 朝の集い・運動

訓練所の駐車場に整列し、全体で諸連絡・ラジオ体操・準備運動を行います。

その後、体育委員さんが考えてくれた軽運動メニューを行うか、ランニングに行くかを選択します。

私は、だいたいランニングに行っていました。

ランニングは1km~3km程度で、その日の自分の体調で決められます。


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こんな景色を見ながら走れます!

 

 

 

7:30~ 朝食

汗をかいてスッキリしたあとは、朝ごはんです。

食堂で、ワイワイ食べていました。

朝限定で、コーヒーマシンが稼働しています。

コーヒー好きの私にはたまらなくありがたい存在でした。

 

 

8:30~ 語学訓練

派遣国での公用語に合わせて、語学を学びます。

駒ケ根では、英語・スペイン語・フランス語・ネパール語・シンハラ語・ヒンディー語・キルギス語が開講されていたように思います。

英語・スペイン語(主に南米隊員)・フランス語(主にアフリカ隊員)は大所帯なので、

入所時に行われる試験によってクラス分けされます。

1クラス5人前後で、一日の半分以上をこのメンバーで過ごすため、

家族みたいに仲良くなっていきます。


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講師の先生は、長年協力隊員育成にかかわっていらっしゃるその言語のネイティブやエキスパートが勢ぞろい。

訓練言語が英語以外だったとしても、70日後には、現地でコミュニケーションがとれるように育ててくださいます。

もちろん、自分自身の努力あればこそ。

青年海外協力隊訓練所は、最強の語学学校だと言われることもあるようですが、納得です。

 

 

12:00〜 昼食

午前中のクラスのメンバーと食べることが多かったです♫

昼食後の昼休みは、各自部屋で休んだり、勉強したり、係の集まりがあったら参加したりと、思い思いに過ごします。


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13:30〜 午後の課

午後は、語学訓練の日もあれば、

地域実践と言って地域の中で活動するものがあったり、

講堂で、講義を受けたりしました。

講義は、外から外部講師さんが来てくださり、

隊員としての役割や果たしてほしい使命、心構えの講義に始まり、

日本の外交やODAについて、

病気の予防、健康な体づくり、

派遣国で使えそうな活動のアイディア、

パソコンに関する知識、防犯訓練、

応急処置の仕方など

本当に多岐にわたりました。

テロに巻き込まれたときの身の守り方も実際に練習しました。

 

 

 

地域に出て地域の方と活動するときは、

公民館や駒ヶ根テラスという市民の憩いの場を活動場所として、

どうしたら若い層に駒ヶ根に来てもらえるかを考えたり、

少子高齢化への対応策についてアイディアを出したりしました。


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その他にも、委員が中心となって内容を考える「生活技法講座」というものがありました。

 

派遣国では限られたものしか手に入らないことが想定されるため、

その中でどんな工夫ができるかを考え、

計画を練るところまでは委員が行います。

講座では、班で試行錯誤しながら調理します。

このときは、小麦粉とりんごはどこの国でも手に入るだろうということで


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お肉を使わない唐揚げのようなものに挑戦してみたり、


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スコーンとりんごジャムを作ってみたりしました。

 

 

 

余談ですが、毎週火曜日は予防接種の日で、派遣国の状況に合わせて、必要な予防接種を受けました。

結核や破傷風もですが、

ブータンが特徴的なのは、狂犬病です。

狂犬病だけで3回打ちました。

多いときは左腕と右腕に一箇所ずつ打っていて、精神的ショックを受けている隊員もいました。

 

 

17:00 終業

ここから先は、22時の門限までは自由です。

(22時の時点で訓練所に戻っていなかったらペナルティがあります)

語学教室に残って自習する人、

体育館でスポーツをする人、

委員会や係の活動をする人、さまざまです。

 

また、17時からは訓練所の外に出ることもできます。

仲間と外にでかけて、夕食をとったり、飲み会をして親睦を深めたりすることもありました。

(その際は事前に欠食届を出す必要があります)

※訓練所内は酒類の持ち込み禁止です。


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これは、駒ヶ根駅前の唐揚げ屋さん。

きっと、駒ヶ根の訓練生は一度はお世話になると思います。


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こちらはピッツェリアです。

雰囲気が素敵でした!

週末、土日に班の人や仲がいい人と行く、というパターンが多かったです。

 

 

訓練所の近くには、中央道駒ケ岳SAがあります。(徒歩5分程度)

SAのコンビニが、訓練所からいちばん近いコンビニでしたので、夜の時間に行く人が多かったです。

 

 

 

23:00 消灯

おやすみなさい!

 

 

【番外編】

駒ヶ根市は訓練所があるということもあり、国際色が豊かです。

駒ヶ根市で行われるイベントには、訓練生も参加できます。



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↑こちらは世界の国のブースが出て、いろんな情報に触れることができるフェスタの様子です。

駒ヶ根の子どもたちは、他の場所の子たちよりも協力隊や世界の国への興味が強いかもしれません。

 

 

 

まだまだ書ききれませんが、以上が、

ざっくりしとした派遣前訓練の様子でした!

 

興味のある方の何らかの参考になれば幸いです。

読んでいただきありがとうございます!

 

 

【JICA海外協力隊】決心の裏側

 いつも読んでいただきありがとうございます!

今日からは、JICA海外協力隊のことについて書いていきたいと思います。

 

 

私は、青年海外協力隊 (現:JICA海外協力隊) の隊員です。

 

 

大学卒業後すぐに中学校の英語教員として勤めたのち、

退職してから応募するという無謀さ。(合格したからよかった…笑)

合格後、70日間の派遣前訓練に参加しました。

 

 

派遣前訓練では、さまざまなバックグラウンドをもった、個性豊かな人たちと出会いました。

語学訓練を中心に、地域へ出向いた実習やチームビルディングの手法などを学び、

朝から晩まで毎日「濃ゆ~い」時間を過ごしました。

 

そして、訓練が修了し、無事にブータンへ派遣されました。

南アジアの小さな国、ブータンのド田舎の小学校で活動したのち、

1年2か月たったところで、新型コロナウイルス感染拡大の影響で帰国して現在に至ります。

今は待機中の身分であり、未だ再派遣・再赴任のめどはたっていません。

 

 

 

 

私がなぜ青年海外協力隊に挑戦したいと思ったのか。

 

それは、一言で言えば夢だったからです。

 

もともと英語が好きで、海外旅行が好きで、

やったことがないことをやってみたり、

行ったことがない場所に行ってみたりしたときの

わくわく感がたまらなく大好きでした。

 

そして英語好きが高じて、「いつか海外で働いてみたい」と思うようになっていました。

青年海外協力隊は、高校生の頃から知っていて、漠然と興味がありました。

先生をやりながら海外で働くという夢を追いかけるなら、これしかない!※ と思いました。

ただやりたかったということだけではなく、教員としてその経験が必ず生きると思ったから。

 

※教員や公務員、民間企業(一部制度がある会社のみ)としての身分を保ったまま

協力隊に参加できる、「現職参加制度」というものがあります。

 

 

在職中に、一度この現職参加制度で受験しましたが玉砕。

(やっぱり、まわりの受験者は相当にレベルが高かったです)

当時は「今じゃない、ということだな」とプラスに考え(笑)、仕事にまい進しました。

 

教員としての日々は充実していて、とても忙しかったので自分の夢は二の次でした。

でも、ふと、考えてしまうことがあったのです。「このままでいいのかな」と。

 

「やらない後悔より、やって後悔」が私のモットー。

よく、生徒にもそう伝えていました。

やってみて、うまくいかなかったら納得できます。改善もできます。

でも、挑戦しなかったとして、何十年もたったときに、くよくよと

「あのときやっておけばよかった」と思いたくない――

 

その一心で、挑戦することを決意し、退職して協力隊の隊員となりました。

 

 

応募時には、希望する職種をひとつ選択し、

一つの職種の中から、最大3つまで希望(国)を出すことができます。

 

インターネットから出願をするのですが、出願するその日まで、

ブータン」は私の選択肢の中に入っていませんでした。

ほぼ出願できる状態まで必要事項を記入したあと、もう一度案件を見てみたら、

ブータン」がやけに目について、

「幸せの国」といわれる場所に行ってみたい、

「幸せの国」に住んでいる人々がどんな顔をして、

どんなふうに生活しているのか見てみたい、

「幸せの国」と言われるのはなぜなのか知りたい、と思い、

土壇場で3つの選択肢の中に入れました。

 

そうしたら、ブータンに派遣されることになったのです。

本当に、人生ってわからないものですね。

 

 

実際にいってみたら、想像と違うことばかりだし、ギャップは苦しいし、

当たり前ですが生活環境は180度違うし、で、苦しむことも多かったです。

わかっていたはずなのですが、自分の弱さを痛感しました。

でも子どもたちはかわいくて。万国共通ですね。

 

いろんな気持ちが押し寄せて、変化についていけなくて、毎日感情がとても忙しかったです。

 

待機中の今、これからのことを考えないと…と思うのですが、なかなか、です。笑

 

このまま終わってしまうのか、戻れるのかはわかりませんが、

ただ、ひとつ言えるのは、国際協力機構という大きな組織に守られて

活動ができていたということは、とてもありがたかったと思います。

このような緊急事態にも迅速に対応してくださり、我々隊員を守ってくださいました。

感謝しています。

 

 

次回からは、協力隊について書いていきたいと思います。

 

 

私がどんな活動をしていたか、は、こちらからどうぞ。

 

cradle111.hatenablog.com

 

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【英語】言語を学ぶのは何のため?

今日は、言語(主に英語)について、考えたことを書きます。

 

 

 

 

 

ブータンの公用語は2つで、英語 と ゾンカ語(ブータン固有のことば)です。

 

しかし!

ブータンは九州ほどの面積に70万人が暮らす小さな国であるにもかかわらず、

現地語が20以上あります。

県をまたいだだけで、ブータン人同士でも意味がわからず、お手上げになってしまうこともあるそう。

 

言語学者の先生たちにとって、研究しがいのあるとても魅力的な国だと思います。

 

公用語は 英語 と ゾンカ語 ですが、

私がいたブータンの東部では、 シャショップ という、また違うことばが話されていました。

このシャショップは書き言葉がなく、話し言葉のみ存在しています。

つまり、文字がありませんでした。

ゾンカ語は首都があるブータン西部で、シャショップは主に東部で話されています。

 

 

 

 

ブータンでは、子どもたちが学校に通い始めるのは5歳を超えた年からで、

class PP (Pre-Primary)からのスタートとなります。

PPの次はclass 1, 2...と進級していきます。

日本のように4月スタートではないのでまったく同じではないですが、

class 1 =日本の小学1年生、 class 2 = 日本の小学2年生 と考えていただいていいと思います。

(ちなみに、義務教育ではありませんので、数パーセントの子どもは学校に通っていません。

加えて、テストで基準を満たさない生徒は、進級できません。

ゾンカ語は公用語であるにもかかわらず、東部出身で学校に行けなかった人は、

シャショップしか話せません。)

 

 

 

そして、本題。

 

 

 

学校に通っているブータンの子どもたちは、とても上手に英語を話します。

先生たちは、授業を英語で行っています。

class PP - 2くらいまでのちびっこたちは、英語だけでは難しいですが、

それでも先生が現地語を使ってフォローしながら、英語で授業を進めます。

class 3ともなると、ほぼすべての授業を英語で理解します。

もちろん教科書は英語で書かれています。

日本でいう国語、つまりブータンのゾンカ語だけは、教科書も授業もゾンカ語ですが、

それ以外はすべて英語です。

外国人である私とのコミュニケーションも、もちろん英語。

 

小さいころから英語に触れまくっているので、それが普通で、

英語が話せることも普通です。

学校を出ている大人も、もちろん上手に話します。

そして、発音がとってもきれいで、訛りを感じることがありません。

特に大学まで出ているブータン人は、自分の専門分野以外でも専門用語がすらすら出てきます。

 

 

驚くべきは、ブータン人は、英語・ゾンカ語・シャショップのほかに

まだまだ理解でき、話せる人が多いということです。


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インドのヒンディーと、ネパールのネパリを巧みに操る人の、まあ多いこと!!!

 

もちろんその人の学歴や経験、出身県にもよりますが、

5つの言語を操れる人がたくさんいるのです。

地理的な要因に加え、

ブータン人は、脳みその言語に関する部分が発達しているのだと思います。

日本語も、教えるとすぐに覚えてくれました。

 

 

 

 

 

 

ここで考えたいことは、言語を学ぶ意味。

 

 

 

 

 

ブータンに行く前、とあるアジアの国で働いていたとき、

みんな英語が上手だなあと思っていました。

仲良くなった人に、「どうしてそんなに英語が上手なの?」と聞いたら、

 

「日本は豊かな国でしょ。

 日本語だけでなんでも買えるし、日本語だけで生活できるじゃん。

 ぼくたちは、貧しいから、英語を知らないと仕事ができない。

 つまり英語を知らないと、お金を稼げないし、生きていけないからだよ」

 

と言われたのです。

 

 

 

 

当時の私には、これがかなり衝撃的で。

頭をガーンとたたかれたような気持ちでした。

 

 

 

中学校に勤めていたときは、英語嫌いの生徒に

「なんで英語なんか勉強しなくちゃいけないの!

 俺は外国なんか行かない、ずっと日本にいる、だから英語はいらない」

なんて言われて、彼らの言っていることもわかるなぁ、と、モヤモヤしながらも、

ただ受験があるから英語を勉強しているわけではなく、

「英語ができれば世界が広がる」「可能性が広がる」

というようなことを話していました。

 

 

 

でも。

 

 

 

彼らにとって英語は生きるためのツールだった。

 

 

 

 

 

それまでは、英語は「学ぶ」ものだと思っていました。

「英語を勉強すれば~~ができる」という感じで、

豊かに生きるために学ぶものだと思っていました。

 

 

 

だから、そもそも が違っていたことに大きな衝撃を受けたのです。 

 

 

 

 

 

「ブータンは小さい国だから、隣国と手をつながないと、国を守れないのだ」

と、ブータン人は言います。

 

実際、国営テレビは1局のみ、あとはインドから電波をもらい、

英語とヒンディー語の番組に小さな頃から慣れ親しんでいます。

ものをつくる大きな会社はありません。

電化製品や車はもちろん、日用品や食料など、お店に並んでいるもののほとんどがインドからの輸入。

(農業は、故西岡京治さんのおかげで、ブータンでも自給自足が主です。)

だから、みんな言葉を知っているのです。必要だから。

 

 

ブータン人は、日本人が英語があまり得意ではないことを知っていて、

「だって、私たちと違って英語話せなくても困らないもんね!なんでもあるしね!」

って、キラキラした笑顔で言われます。

ブータン人は、優しく思いやりに溢れた人ばかり。

決して皮肉ではないのです。裏を返せば、

「日本はすごい。自分たちの言葉だけでなんでもできるんだから!」

ってことです。

 

 

大国である中国とインドにはさまれて、それでもなお自分たちの国が倒れずに存続できているのは、

生活面で頼る部分が大きいけれど、それでも

自国の文化や伝統(伝統衣装や仏教観、王室を大切に思う気持ちなど。詳しくは記事をご覧ください)を

大切に大切に守っているからだ、と。

 

そして、ゾンカ語は圧倒的な語彙不足で、たとえば病気の名前など、

何かを説明したいとき、ゾンカ語にその語彙がなければ、英語の語彙を使います。

ゾンカ語は、今、消滅の危機にある言語のひとつ、なのだそうです。

自国の文化を存続させるために、学校でゾンカ語を学んでいます。

 

 

 

 

 

私たちは、こうした国から見れば、物質的にはとても豊かな国に暮らしています。

たしかに、言われてみれば、国内で生活する分には、英語って必要ないですよね。

英語学習にたいして、ぜんぜん、切羽詰まっていない。

病院に行っても困らないし、電化製品も自動車も国内メーカーはちゃんとあるし。

オリンピックがあるから、と、英語表記が増えてきて、積極的に英語を学ぶ人も増えたけれど、

基本は日本語だけで生活できます。

 

 

 

 

英語を学ぶ目的が、理由が、圧倒的に違うんだなと思いました。

 

 

 

 

 

日本で頑張って働いている外国の方々も、

理由はさまざまあると思いますが、

きっと生きるために日本語を身につけているのでしょう。

 

 

まとまりがない文になってしまいました。(^^;)

・・・・だから何だ、という話なのですが、

かつて英語を教えることを仕事にしていた私には、これは衝撃的な気づきでした。

 

 

みんなが平等に教育を受けられる日本に生まれて、

何の疑いもなくその権利を享受してきましたが、

英語に限らず、学び、勉強することの意義や目的を

深く考えさせられました。

この経験は、これからも英語を学び、教えるモチベーションのひとつとして

私の中に生き続けると思います。

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。