途上国ライフ

図工と体育と、ときどき英語。元公立中学校教諭、現途上国の小学校の先生。

【学校・日常つれづれ】「ありがとう」の重さ

「ありがとう」について。

 

いま、この国で学校の先生をしながら、日本語も勝手に教えています。

子どもたちが、よく日常の会話の中で

「〇〇って日本語だったら何て言うの?」って聞いてくるからです。

興味をもってくれているんだなあ、と感じてうれしくなる瞬間です。

 

だから、最近では教室に入るときに、あえて「こんにちは~!」って言うようにしています。

子どもたちも「こんにちは~」って返してくれます。

朝、学校への道の途中で一緒になったら「おはよう」

学校が終わったら「またね~」「さようなら~」

子どもたちが仕事(ものを運ぶことなど)を手伝ってくれたら「ありがとう」

基本中の基本のあいさつばかりですが、それが大事!と思って、かんたんな言葉は

あえて日本語で言っています。

 

その日本語の中でも、特に好きなのは「ありがとう」。

一日に、一番多く言う日本語が「ありがとう」だったらいいなあと思いながら活動しています。

この国の言葉では「カディンチェ(ラ)」です。 

 ※スペル表記はわかりません笑

 (ラ)が語尾につくと、よりていねいな言い方になります。

  丁寧語があるって、日本語と似ていますよね。

 

日本で教員をしていたとき、よく生徒指導の場面にぶちあたりました。

ケンカが原因だったら、だいたいは「ありがとう」と「ごめんね」がちゃんと言えていなかったから、

人間関係がひどくなってしまっていたことが多かったように思います。

「ありがとう」「ごめんね」は、人間関係を円滑にする、

とてもパワーのある素敵な言葉だと思います。

だから、「ありがとう」「ごめんね」をちゃんと言おうって日本でも生徒に伝えていました。

 

 

・・・そんなふうに考えて生きてきましたが、

今、「ありがとう」についてあらためて考えさせられています。

このブログでも前述したことがありますが、

この国の人は、あまり「ありがとう」と言わないのです。

むしろ、私がいつも通り、自分の感覚で、

お茶をごちそうになった時、野菜をいただいたとき、おうちに招かれたとき、

車でタウンまで連れて行ってもらったとき、授業を手伝ってもらったときなど、

ことあるごとに「Thank you very much / カディンチェラ」と言っていたら、

「ありがとうって言いすぎだよ」「なんでそんなに言うの?」

「ありがとうなんていう必要ない」と言われてしまっています。

 

最近はキュウリがよくとれるみたいで、同僚の先生も大家さんも子どもも

みんなキュウリを分けてくれます。初めはズッキーニかと思いました。

これが、ここのおやつです。

大きくて、太くて、立派ですよね。

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もちろん、キュウリをいただいたときも、私は「ありがとう」を言います。

 

みんなから「ありがとうなんて言う必要ない」と言われまくり、

はじめは「なんで?」「言ったほうが絶対いいのに」と思っていたけれど、

これにはちゃんと理由があります。

 

彼らにとっては「当たり前だから」なのです。

 

私は外国人、そして日本人。外国人がここにいる。

外国人がこの国のためにここに来て働いている。

だからリスペクトしなくちゃ。

助けるのは当たり前。いつも気にかけなくちゃ。

暇してないかな。ごはん食べてるかな。

Because you are Japanese, you came from another country. 

We have to respect you. You don't have to say "Thank you".

 

・・・というのが、彼らの考えです。

だから、私に何かするのは当たり前なのです。

この考えが仏教から来ているのか、彼らの国民性なのか、

それはわかりませんが、とにかくみんな優しいです。

その優しさは、彼らにとっては当たり前らしいのです。

 

 

そう、最近、子どもたちがよく家に遊びに来ます。

だいたいは、紙工作や折り紙がしたいから。

多いときは、一日に20人くらいがとっかえひっかえやって来ます。

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新聞紙を切ったり、折り紙折ったり、

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紙で動物を作ったりしています。

 

 

学校でも、「マダム!カラーペーパー!」と言われます。

きっと、おうちでも折り紙がしたいんですよね。

学校で図工の授業をしているから、授業でやったことをもう一度やりたいという子や、

色のついた紙、柄のついた紙で遊びたい子が多いです。

ここまで子どもたちが紙工作や折り紙に興味をもつと思わなかったので、

私が日本から持ってきた折り紙はとっくになくなり、

さらに送ってもらった折り紙も底を尽きそうで、うれしい悲鳴です。

でも「マダム!カラーペーパー!」と言われたら、

「私は紙じゃない!なんて言うべきなの?もう一回言ってごらん」と言い直させています。笑

そして、休み時間には折り紙ほしい子が私の前に押し寄せてきます。

だから「一列つくって!順番!!」といって渡すのですが、

まあ~~順番を待てません。横入りはふつう。

時には押し合いになってしまいます。

そういうときは、中断して、「私はケンカが大嫌い!ケンカになるならあげられません」と言い、また明日。

うまく渡すことができたときも、子どもたちは折り紙を奪うようにバッと取り、

何も言わずに走り去ります。

これも当たり前だからなのかなあ、と悶々としながらも、服をひっぱって

「ものもらったら何て言うべきなの?」って聞いて、

Thank you, madam.     You're welcome, it's my pleasure.   とやりとりします。

 

うちに遊びに来る子たちの多くも、ありがとうと言わずに立ち去ります。

うちに来て、私の持っている道具を使って遊んで、時には何かを汚し、さらに折り紙をもらって帰っているのに。。。

 

決して「ありがとう」と言ってほしいわけではないのです。

「ありがとう」と言ってほしくて活動しているわけではない。

でも。

複雑な感情がうずまきます。

 

たま~に帰り際に「ありがとうマダム」と言ってくれる子がいると、

めちゃくちゃうれしく感じて、私も「また来てね」って返します。

 

 

じゃあ逆に、どんなときに「ありがとう」って言うのかな?と思い、

彼らの生活を観察しているのですが、

あまり「ありがとう」の場面に出くわしません。

きっと、「ありがとう」の重さが違うんですよね、ただそれだけのこと。

 

 

今、子どもたちに折り紙を渡したら、「なんて言うの?」と聞いて、

「ありがとう」としっかり言わせるようにしています。

これは日本で教員をしていたときも同じでした。言うまで渡さない、

「お願いします」がなかったら受け取らない、など、割と徹底してやっていたつもりです。

 

はじめは、この国の人の考え方に足を突っ込むのはよくないかな、と思い、

このようにすることが正しいのかどうか迷いました。

でも、私は日本人。

こういう価値観、違う考え方に触れるのも、

子どもたちにとってマイナスではないはず。

そんな思いで、今日も子どもと接しています。

 

ブータンの人が「ありがとう」を言わなくても、

「なんでそんなにたくさんありがとうって言うの?言う必要ないよ」って言われても、

私は「ありがとう」を言い続けるし、必要な場面では子どもたちに言わせたい。

私は日本人で、これもひとつの文化交流かな、と思うからです。

日本人とかかわったこの場所の子どもたちの今後の成長に、

なんらかのいい影響を与えられたらいいなあ、と思っています。